こんにちは👓
昨日までのあの暑さと打って変わって、今日は雨降りで
気温もぐんと下がって肌寒い長万部です。
さて、先週の土曜日にシャクシャインロード慰霊リレーが行われました。
この事業は、シャクシャイン没後350年記念事業として
国縫シャクシャイン古戦場跡碑からシャクシャインゆかりの新ひだか町まで
慰霊の旗をたすき代わりにリレーするものです。
旗は公募と小学校で製作したアイヌ刺繍のパッチワークを
つなぎ合わせたもので、浜辺で持って歩きました。
ちなみに私が刺繍したものも入って・・・いるはずです(笑
安全祈願祭を、古戦場跡碑で行いました。
旗を持っていよいよスタートです。
アイヌ民族の英雄シャクシャインが350年前、松前藩と戦った経路をたどります。
一枚一枚想いを込めて刺繍しました。
リレーは長万部町と北海道アイヌ協会が企画。
新ひだかまでの太平洋岸240㎞を「シャクシャインロード」と名付け、通過する13市町を徒歩と船でつなぎ、23日に新ひだかで開かれるシャクシャイン法要祭でのゴールを目指します。
※北海道新聞より一部引用
「シャクシャインの戦い(戦争)」とは
1669年(寛文6年)、和人との交易の不平等に怒りを募らせたアイヌの長シャクシャインが、アイヌモシリ全域に呼びかけ、呼応したアイヌによって軍を編成、松前藩に対する一大軍事蜂起となりました。
シャクシャイン軍は7月末にはクンヌイに到達し、クンヌイ川をはさんで、松前藩と対峙します。アイヌの毒矢と和人の鉄砲の撃ち合いが続きましたが、やがてクンヌイに指揮官松前康広が合流すると武力に劣るシャクシャイン軍は後進を続け、オシャマンベから更に本拠地シベチャリ(現新ひだか町)まで後退させられました。シベチャリに退いたシャクシャインは松前軍との和睦を装った酒宴で殺され、戦いは収束に向かいました。
クンヌイ川を起点として、この長万部町は、松前を目指して攻め寄せたシャクシャイン軍と松前軍との最大の激戦地でした。
この戦いは、先住民族アイヌと中央政権との主従関係の成立を意味しません。
それは十九世紀初頭から二度の幕府直轄を経て明治期からの近代法体系の中で漸次形づくられたものです。さらに戦いの勝ち負けは、生き方の善し悪しを意味してはいません。
(「シャクシャイン古戦場跡碑」碑文を元に作成)
※長万部町HPより引用